第32話 外から見たら大騒ぎ
じりじりと照り付ける陽射しによる暑さも、湿気がそれほどはないせいか、建物の陰に逃げ込んでしまえば涼しさへと変わる。
ゆったりと潮風が頬を撫で、通り抜けていく。
目の前の木陰の位置が記憶していたよりも横方向へ移動しているように見え、サティは眉根を寄せた。
「『待ち人来たらず』とは言ったものですが、参りましたね」
長く息を吐き、サティは真顔でベルに声をかけた。
「どうします? 船のチケットもさっさと取らないといけないんですけど」
これまた真顔でベルが見下ろしてくる。
「今回の任務にはレオンも組み込まれているからな。このまま戻ってこないのを放っておくわけにもいくまい」
「おいおい。組み込まれていなかったら捨てていく気満々かい」
外野からの指摘に二人はやはり真顔でうなずいた。肩をすくめて相手に言ってやる。
「そりゃそうですよ。例えばこれがハル君だったらとっくに放置してましたね」
「そうだな。これがお前だったならば早々に船のチケットをおれたちは優先した」
「さいですか」
外野がなにやら悲しんでいるようだが、サティはあっさり無視をした。腕を組み、もう一度真っ直ぐにベルの方へ向き直る。
「しっかし、どうやってレオン君を探します? 手分けするにしてもこの街は不案内ですし……」
「そうだな。実を言うとウォルサムへはおれも初めて来た」
「ああ、そうでしたか……」
彼の栗毛色のふさふさの尻尾は、窮したとでも訴えているように垂れ下がっていた。
サティも年嵩の幼馴染に倣い、通りへと視線を移す。
目の前を行き交う人々の数は、ウォルサムへ到着したばかりの頃よりも少なくなってきたように見えた。太陽が一日の中で最も高い位置に移動したからか、それとも単に昼食時なのか、はたまたそれを終えて昼寝の時間帯なのか――
「状況を整理してみますか。乗り物酔いで参っていたとはいえ、レオン君は立派な若者。それを己の腕一本で運ぶ白髪の恐そうな人――」
サティは静かに表情を引き締め、うなずいた。
「――条例にひっかかることでもしてご隠居にしょっ引かれているのではないかと」
披露した推理にベルもまた腕を組み直して応じた。
「仮にそうだとすると、相当な力自慢のご隠居ということになるだろう」
「その線ならばいくらか探しやすいような気もしません?」
「いや、船乗りや職人には生涯現役で力自慢のご隠居もたくさんいるのではないかとおれは思う」
「確かに……」
どちらからともなく大きなため息が零れ落ちた。
「おいおい。二人ともしっかりしてくれよ。簡単なことじゃないか」
ジークが突然荷物から手帳を取り出すや否や、万年筆をさらさらと走らせた。
目をぱちくりさせているベルと顔を見合わせ、サティも手帳を覗きこんだ。迷いなく流麗な線で描かれていたそれに、サティの目と口が半開きになった。
「うわーレオン君だ、シュッとしたきれいなレオン君がいます……」
「相変わらず無駄に上手いな。無駄に」
「無駄は余計だよ、ベルさん」
貶しているのか、感心しているのか。どちらともつかぬ声を漏らす幼馴染二人に、ジークはぐったりとうめく。
「まあ、これで聴きこみでもしてみたらいかがですか」
かくして、一同はきれいな似顔絵を手に尋ね人の足取りを追うこととなったのである――
パールディア行きの乗船チケット購入は港へ直接ゴー!
観光ガイドブックから知恵を授かり、一同はひとまず港へ向かうことにした。
緩やかな坂道を下り、ぞろぞろと歩みを進めていくうちに潮の香りが少しずつ濃くなっていく。上空ではミャアミャア高い声で海鳥が鳴き、翼を大きく広げ飛び交っていた。日差しを一身に受けた翼がくっきりと白く光っている。
浜辺と向かい合う目抜き通りには、今朝獲れたばかりだという魚介類を取り扱う店が競うように軒先を連ね、賑やかな市場になっていた。腹まで赤みがかった魚や下顎が上顎よりも大きく突き出た魚、大きく発達した胸ビレと腹ビレが翼のような形の魚、黒みがかった厚くて重そうな貝。ファティマではよほどの高級店か、塩漬けや干物などの加工された姿でしかお目にかかれないだろう種類の鮮魚も出回っている。
聖都とは異なる街の空気にサティは何だかわくわく胸が躍るような、そわそわ落ち着かないような心地がして自然と浮き足立った。
店頭に並ぶ人たちは皆どこか思案するような顔つきである。一つ一つ指差し確認や指折り数え始めたかと思えば、互いに肩をすくめていたりする。どうやら隣に並ぶ客や店主と晩御飯の献立プランを出し合っているようだ。
――と。
ガランガランガラン。
小ぶりな鐘を右手に、黒板を左手に抱えた店員が奥から出てきた。そこには白墨で「本日のタイムセール品はイワシ! お一人様三尾まで!」と書かれていた。
途端、買い物客たちが一斉にイワシのコーナーへ前進した。皆一様に目をぎらつかせ、「寄らば斬る」という戦場の騎士の如く真剣な眼差しであった。
漂い始めた気迫にサティは幼馴染み二人と素早く目配せし――通りの反対側へと撤退を決めた。要するに、この店で情報を得ることは潔く諦めたのであった。
「いわゆる主婦層の皆さんからならば情報を手に入れやすいと思ったんですが」
頬をひきつらせてサティが言えば、ジークが沈痛な面持ちで返してきた。
「止めとけ止めとけ。お得情報聞き出そうとしたら斬りかかられるぞ。たとえ俺たちが知りたいのが船のチケットだとしてもだ。作戦は変更しようぜ。いのちだいじに……」
地元セレスト大聖堂に押し寄せる観光客の人波を泳ぐコツを十分理解しているファティマっ子の三人だが、この主婦たちの戦場での勝算はないに等しい。年長者のベルは通信販売についてはかなりの上級者ではあるが、それとは別の話である。
チケットもあらかじめ通信販売で購入できたらよかったのに、とジークが零すと、送料と手数料がかかるからメールの許可が下りなかったのだ、とベルが大きな肩をしょんぼりと落とした。
「……それはともかく、素直に船の乗り場でチケットを購入し、そこでレオンのことも尋ねる方法が良いのではないかとおれは思う」
通販マニアの一言にサティとジークは従うことにした。彼の尻尾が力なく下がっているのには二人とも見ないふりをした。
「お、ちょうどいい。あそこでおじさんたちが舟を燃やしてるぞ」
「あはは。渡りに舟ですねえ。もくもく煙が……」
ジークの指差す浜辺を見て笑いかけ――そこでは何やら数人の男たちが佇んでいた。談笑に興じているものもいれば、座り込んでいる者もいる。彼らの少し離れた場所で舟が燃えている。まばたきをしても矯めつ眇めつしても火にかけられているのは、舟であった。舟底の下から赤い炎が揺らめき、白い煙が風にたなびいている。
互いの顔と浜辺を三度は確認し、そろって飛び上がった。
「火事だー!」
「待て!」
ベルが何やら制止の声をあげたような気もするが、二人は考える間もなく駆け出した。
ざっ、と肌に泡立つものを覚えてジークを見やる。彼は何事かを口の中で転がしている。恐らく魔術を使うのだろう。詳しくは分からないが、術式を展開することでその場を取り巻くマナが集束し、変容していくからだと聞いたことがある。魔術は専門外のサティだが、それだけは肌で感じられた。
彼は宙に左手の人差し指で軽く円を描いた。それから紺碧の瞳をじっとサティへ注ぎ、軽く頷いた。先に行けとの合図にサティもまた頷き返す。
彼は呼吸を乱さぬよう、サティよりも幾分走る速度を落としている。黒髪が跳ねるジークの背中を追い抜き、サティは舟を目指してただ走ることだけに集中した。
浜辺へと降りた瞬間、ベルの怒号が響いた。
「待て!」
びりびりと震えた空気に慌てて振り返ろうとし――サティはたたらを踏んだ。さらさらとしている砂に足を取られ、つんのめりそうになるのを何とか堪え、今度こそ振り返る。そして、息を呑む。
ジークがいない。
「へ?」
目を白黒させている間にジークが描いた円を辿るように碧く輝く陣が現われる。そして、そこから猛烈な水圧の波が噴き出した。舟の炎とは反対方向へ。
サティは唐突に理解した。
ジークが砂浜に突っ伏している。そのローブの裾をベルが掴んでいるのも見える。
術式が完了するまでの間、集中力と呼吸が乱れぬようにジークはギリギリまで速度を落としていた。彼は水圧の波が炎に到達する最善の位置まで走り込むはずだったのだが、それをどういうわけか阻止されたのだ――ベルによって。
「なんだなんだ?」
「大丈夫か?」
「派手にコケたみたいだが、どうした?」
例のおじさんたちが、わらわらとこちらに近寄ってきた。
燃える舟の近くにいた者が、躊躇いもせずにそちらに接近し、何か長いものを取り出すのが見えた。
串だ。魚が串に刺さっている。
「もういいかい?」
こちらに近寄る仲間の一人が彼に声をかければ、
「おう! 焼けてる焼けてる! もうそろそろいいぞ」
串を天高く掲げ、反対側の手のひらで拳を作り親指を立てた。
「やっぱりイワシは炭火焼きに限るよな!」
「そうそう。それとウォルサムの天然塩。シンプルな味が一番だよな!」
「違いねえ、違いねえ!」
がははは、と身体を揺らして男たちが笑い出した。
混乱する頭を押さえ、サティもふらふらと舟に近づく。そして、ようやく全てを理解する。
舟の中は砂利がみっしりと敷き詰められ、中心に設置した炭を囲むようにイワシの刺さった串が何本も刺さっている。舟底の下には、炭や薪が置かれ、炎が赤く赤く揺らめいていた。炉の代わりに、いや、舟を炉としてじっくりと炭火で焼いているのだった。
「だから待てとおれは言ったのだ」
ベルの呆れ果てたような声音が耳に届く。彼は狼人で、鼻がよく利くのである。彼には二人がゴムで弾かれた銀玉の如き猛スピードで駆け出す前から炭火焼きの仄かな匂いを感じ取っていたのだろう。
まっすぐとこちらに注がれている幼馴染の二つの琥珀玉が痛くてサティは顔を反らす。
碧い陣から迸る水流に光が通り、煌めきが七色に分かれていた。
「あ、虹……」
赤、橙、黄、緑、青――藍と紫は境目がよく分からない。七色に分かれた不安定な光は、飛沫の動きに合わせて揺らいでいる。
美しい碧い軌跡を描いた陣が、一瞬、強く発光した。そのまま陣は空に淡く溶けるように消え始めた。水もぴたりと止まり、碧い軌跡を追う勢いで虹も薄くかすんでいく。