27話 初めて見る顔




 昼食時を過ぎたばかりだということもあり、セレスト大聖堂内の食堂は込み合っていた。
 人々の喧騒を潜り抜け、まばらに空いていた席の一つに滑り込む。椅子の背もたれに寄りかかると、レオン・カーディナライトは全身の力を抜いた。
 凝ってしまった肩をほぐす。深く息を吐き出しながらレオンは目を閉じた。真っ暗な視界には、おぼろげな聖都ファティマの地図が浮かび上がる。ここ数日、休みもせずに歩き回ったのだが、まだ全体の半分も把握しきれていない。
 それだけの面積を、それだけ広大なファティマの全体図を把握するために歩き回る――それが、彼に任ぜられた仕事であった。
「……全部頭に叩き込むまで毎日歩かされるんだよな……たぶん」
 つい漏れ出てしまった自分の声にレオンは深々とため息をついた。
 窓の向こうへ視線をめぐらせば、生い茂った木立が見えた。瑞々しい葉。深い緑色。認識した途端、ファティマ観光局の緑色の旗が脳裏をかすめた。
「…………なんか景気のつくものでも食うか」
 自分を励ますつもりでうめいて、またため息をついた。
 ――と、何となく妙な気配を覚え、レオンは視線を転じる。
 後方に、蒼と琥珀という双色の瞳を持つ少女が立っていた。さらりと長く伸ばされた亜麻色の髪。見慣れた真っ白いケープ。
「……何だ。サティか。無言で人の背後に回るのは、つくづく趣味が悪いと思うぞ」
「どういたしまして」
「褒めてないぞ」
 こちらの指摘を気にせず、サティ・レインフォルムはこちらへ近づいてくると、レオンの向かい側に腰掛けた。何やら手にしていた書類のようなものをぞんざいに広げ、その上に突っ伏す。
 隙間から「清流祭」「パールディア」というような単語が見えた。
 なんにしろ、昼食を注文しようとレオンはカウンターの方へ歩を進めた。

「旅行か?」
「任務です」
 脊椎反射のようにすぐに発せられたサティの言葉に、ぱちくりとレオンはまばたきをし――
 また聞き返した。
「もう一度、言ってくれるか?」
 どことなく落ち着いた色彩の金髪の青年である。できたての肉野菜炒め定食の盆をテーブルに載せ、眉を顰める。
「いいですよ」
 同じテーブルの正面に座り、真面目な顔で首を縦に振ったのは、サティである。レオンとはわずか数ヶ月しか年齢に差はないはずなのだが、少し丸みのある頬のせいでどことなく子供っぽい印象を与えている。
 彼女はテーブルの上に広げた書類に視線を落とすと、読み上げ始めた。
「『迫る、清流祭』えーっと、『アルカディア随一のお祭りとして名高い水の都パールディアの清流祭開催がいよいよ迫ってきた。一五〇年にも及ぶ歴史はもちろんのこと、毎年、水の都の新たな一面に触れることになるこの清流祭の魅力を改めて徹底取材』」
「いや、だから旅行だろ。パンフレットにしか見えんぞ、それ」
「違いますよ、任務です任務」
 サティは、先ほどと変わらず真顔できっぱりと否定すると、テーブルの上に書類一式――セレスト大聖堂代行人の指令書を広げてみせた。
「残念なことにセレストの紋章も刻印されてますし、メールのサインもあるからまごうことなく正式なものですよ」
 彼女の言葉に、レオンはうろんな眼差しを投げてからその書類を手に取った。確かに、その中の一枚にはサティの読み上げたとおりの文面と紋章、レヴェランド・メール直筆のサインがしっかりと記されている。次のページ以降は、清流祭の紹介や水の都の見所が図入りでびっしりと綴られていた。
 他の紙にも目を通す。そちらには『リプル寺院にて代行人となることを命ず』と書かれていた。
 だが、それしか記されていなかった……

 リプル寺院とは、アルカディア王国の南に位置する水の都パールディアの寺院の名である。水の精霊を祭っている寺院として広くその名を知られている。
 そうした情報を頭に浮かべて何度も目を通してみたが、やはり他には何も書かれていなかった。裏返してみても結果は同じであった。
 レオンは片眉を上げて相手に問う。
「で、肝心の任務とやらは何なんだ?」
「……お姫さんの身代わりです」
 定食が冷めないうちにとレオンの方へトレイを押しやりながら、サティはあくまでも真面目に答える。
 その気遣いをありがたく受け取り、レオンはフォークを口元へせっせと運ぶ。
「へえ」
 口いっぱいに熱い肉汁が広がる。空腹というスパイスが加わっているせいか、この上もなく美味しいものに感じられる。
 窓の向こうでは陽の光に透ける葉が、そよぐ風に揺れていた。食堂内のざわめきが耳を通っていく。
 と。
 サティが、じっと真顔のままこちらを見つめているのに気づく。
 何か嫌な感触を覚えて、レオンは口を開いた。
「…………誰が?」
「レオン君」
「っ!?」
 盛大に、むせた。
「だったらいいのにな〜と心底思います」
 ――この感情に名前をつけるとしたら、殺意の他に何があるだろうか。否、ない。
 水を慌てて飲みほして事なきを得たレオンが、一言非難してやろうと口を開く。
 …………
 が、それは未遂に終わった。彼女――サティの纏う気配が常とは異なっていることに彼は気づいたのである。

「思います。が、非ッ常に残念なことに私なんですよね……」

 サティの顔は、恐ろしいくらいひきつっていた。まるで山盛りになったこの世の不幸をたいらげ、おかわりまで済ませてしまったかのように蒼ざめている。
 レオンはしばし虚空を見上げ、そして――サティの顔を覗きこんだ。
「何だ。嫌なのか?」
「……そうですね。あまり気が進まないことは確かです」
 サティは重々しく嘆息を漏らし、瞳を伏せた。
「天蓋の付いたふかふか最高級羽毛布団のベッドで縦横無尽に寝転がったり、パンがなければお菓子を食べたり、三食昼寝付きライフをエンジョイするだけで上質を知る人になれたりしそうなのはともかくとして……」
「めちゃくちゃ乗り気じゃねえか」
「問題は」
「問題は?」
 寺院、なんですよね――と消え入りそうな声で彼女は呟いた。
 フォークを皿と口元とを行き来させながら、ぼんやりと彼女を眺める。
「寺院の何が問題なんだ? ……あー、そうか。お前の性質からして、ああいうかしこまった場所でじっと」
「していられますから断じて違います」
「……まだ言い切ってないのに――」
「失礼なのはどっちですか人を何だと思ってるんです」
 こちらの指摘を素早くノンブレスで遮ると、サティは再びテーブルへと身体を倒した。
「…………」
 レオンはしばし黙して彼女を見つめた。しかし、相手はぐったりとしたままで身じろぎ一つしない。
 とりあえずレオンは口と皿とを往復する手を休めずに、テーブルに広げられた書類へと視線を落とした。

 水の都パールディア。アルカディア王国で唯一、大陸内ではなく南方の島に在する都である。その名が冠せられたのは、透明度の高い海に囲まれ、真珠の産地としての歴史が古くからあることに由来しているという。潮風が心地よいリゾート地として、観光客から絶大な人気を集めている。
 また、年に一度この都で催されるお祭り『清流祭』は、アルカディア王国最大の規模を誇ると言っても過言ではない。この祭りは天地の恵みと母なる海に歓喜と感謝の念を表し、そしてパールディアを守護する精霊ウンディーネに感謝を捧げるためのものである。街では数多くの露店や余興が催され、寺院ではウンディーネへの奉納舞いが行われる。寺院に入ることができない庶民も歌い踊りながら期間を満喫するのだ。だから、その時期は毎年アルカディア全土から祭りを楽しもうと多くの人々が集まる。特に今年はリプル寺院で『継承の儀』が執り行われる予定であるというから、その盛り上がりようは計り知れない。
『継承の儀』とは、リプル寺院で執り行われる司祭位継承の儀式である。その名の通り、リプル寺院を統括する司祭交代の儀式であるのだが、精霊への奉納舞いとは異なり、一般にも公開される。『継承の儀』の一番の見物は、寺院の奥深くで眠っているウンディーネが姿を見せ、前司祭に労いを、そして新司祭に言祝ぎを手向ける所であろう。儀式の性質上、数十年ないし十数年に一度しか執り行われないものであることから、パールディアでは「『継承の儀』を見ずに清流祭を語るな」とまで言われている。

 ようやく最後の一枚にたどり着く頃には、皿の中身もすっかり片付いてしまった。ごちそうさま、と両手を合わせる。満足感にため息をつきながら、レオンはそれに目を落とす。

『さがさないでください』

 それは、手書きではなく、大きさも形もふぞろいな文字列であった。新聞やら何やらに印刷された文字を切り貼りしたようだ。
「なあ……これ、お前が用意したのか」
「まさか」
 突っ伏していたサティが顔を上げ、きっぱりと否定した。
 無意識の内に、震える手のひらを握る。
「まさか、メール」
「それこそありえませんってば。まあ、確かに渡してきたのはレヴェランド・メールですけれど、製作者は件のお姫さんですよ」
 半眼でサティがうめいた。
「……お姫さん――リプル寺院の巫女姫がそれを残して行方不明になられたおかげで、不幸にも今回のお仕事が私のところへ回ってきたというわけです」
「そ、そうかそうだったのか。それは災難、だよな……まさかこんなの用意して家出する奴が、本当にいる、だなんて」
 震える喉から何とかそれだけを搾り出すと、彼は腹を抱える。そして――弾けるように笑い出した。

 目尻に浮いてしまった涙を指の腹で拭う。と、サティが目を大きく見開いているのが見えた。その蒼と琥珀の双眸には軽い驚きが混じっている。
 レオンはまばたきを二度ほどしてから訊いてみた。
「どうした?」
「あ、いえ……」
「何だよ」
「……ええと、その」
 口ごもりながら、かぶりを振る――が、視線はこちらから離れることはなかった。
 怪訝な眼差しで見つめていると、相手は観念したようにとうとう言葉を紡いだ。
「レオン君が笑うの、初めて見ましたから」
「人は誰でも笑うものだ」
「うおっ!?」
 突然上から振ってきた声にレオンはテーブルにつんのめった。
 強かに打った額を押さえて振り返れば、ふさふさと豊かな栗色の毛並みをした狼人が立っていた。
「い、いきなり背後を取らんで下さい」
 早鐘のように打つ心臓をなだめながら、とりあえずレオンは非難の声をあげた。
 一方、加害者であるベルさんはというと、きょとんとまばたきをした。
「仮にも剣術を扱うものが言う台詞ではないとおれは思う」
「か、仮にもって……」
 うっすらと額に汗が滲む。
「だが、確かに挨拶を忘れていたのは不味かったとおれも思う。こんにちは」
「はあ。どうもこんちは…………って何だかなあ」
 すっかり抗議する気が削がれ、レオンはぐったりと嘆息した。
 ベルさんはそのまま表情を変えずに、レオンの隣に立つ。そして、レオンに紙片を差し出した。
「任務だ」
「へ?」
 解せずに目を見開いた。しかし、相手はどうということもなく補足してきた。
「メールからの任務だ」
「はあ。わざわざどうも」
 紙片に刻まれたセレスト大聖堂の紋章を認めると、レオンは眉根を寄せた。
「でも、俺、まだ今の任務が終わってないんだけどいいのかなあ」
「大丈夫だ。メールは、新しい任務が終わったら元の任務に心置きなく戻れと言っていた」
「……はあ」
 漏れ出たのは、返事とも嘆息ともつかない複雑な吐息だった。
 ベルさんは特にこちらの様子を気にすることもなく視線を転じる。正面のサティを覗き込むように屈むと、彼はゆっくりと口を開いた。
「話がある、とメールが呼んでいる」
「……今すぐじゃないと駄目ですか?」
 サティもじっとベルさんの顔を見上げていた――というよりは、睨みつけているといった方が正しいのかもしれない。
 椅子に背を預け、レオンは黙したまま二人を交互に観察する。
 サティはただじっとベルさんの蜂蜜を溶かしたような色の瞳を見つめている。一方、ベルさんの方も身じろぎせず、サティを見下ろすばかりである。
 ベルさんの肩が僅かに上がり、下がった。
「少なくともお前にとってはその方が良いだろうとおれは思う。呼び出したメール以上にな」
「え」
「大丈夫だ」
 重低音が、空気を震わせた。
 テーブルへとベルさんは何やら大きな紙袋を置いた。それから、がさりと音を立てながら袋を開くと何やら丸いものを取り出す。瞬間、ほんのりと甘い香りがレオンの鼻を掠めた。
「お前がすぐに行かなければ、このメロンパンがおれの胃袋に全部収まるだけだ」
「……それ、全然大丈夫じゃないですよ」
 呆れとも諦めともつかない表情を浮かべると、サティはようやく立ち上がった。
 僅かに目を伏せ、遠慮がちに告げてくる。
「レオン君、ベルさんからメロンパンを全力で守って下さい。多少の犠牲はやむを得ません。その辺は頑張って目を瞑りますから」
 ――内容は少しも穏やかではない。
 一応レオンは非難の声をあげておくことにした。
「メロンパンごときに人に物騒なことを頼むな」
 へらり。彼女は力を抜いて、ただ緩やかに、笑んだ。
「やだなあ。こんな重要な時に舎弟の義務を果たさないで一体いつ果たすつもりなんですか」
「安心しろ。間違いなく永遠に来ねえよ、そんな時は。ついでだからこの際教えといてやるが、俺はお前の舎弟になった覚えは一度もない」
「またまた面白くもない冗談を。とにかくお願いしますね」
 再度抗議の声をあげようと、改めて彼女の顔をまっすぐと見返す。
「……あのなあ」
 喉元まで出掛かった声が、そこで止まる。

「行ってきます」

 サティはレオンからさっと視線を外すと踵を返して歩き始めた。
「おい……」
 身体ごと振り向き、サティに声をかけたが、歩みは止まらなかった。
 レオンはまばたきもせずに、サティの背が遠ざかっていくのを見送っていた。
 去り際に残された彼女の表情が、脳裏から離れない。彼女の双色の瞳には涙のようなゆらめきが、浮かんでいた。

「大丈夫だ」

 ぽつり、と。ともすれば聞き流してしまいそうなくらいのさり気なさで呟かれた、低い声。
 ようやくレオンは呆気に取られていた自分に気づき、我に返る。
 ベルさんもまた遠ざかるサティの背中を見つめていたが、ゆっくりとこちらに向き直った。ふっと、緩やかに琥珀色の瞳を眇める。まるで糸をほどいていくかのように。ゆるりと。
「あれは昔から素直だけれども素直じゃないのだ」
 だから、大丈夫だ――と彼はもう一度重低音で囁いた。