11話 月が見てる




 白いヴェールが月の光に照らされる。
 夜空を仰ぎ、その女性がぼやいた。
「随分と派手にやってくれたわねー……」
 交易所跡地――と呼ばれていた場所だ。そう。先ほどまで確かにその名で呼ぶことができた。
 今はその欠片も感じられない、見渡す限りの瓦礫の山。
 交易所跡地の「跡地」に彼らは立っていた。
 頭を抱えたまま、彼女はぶつぶつとうめく。
「事後処理やら修繕に最低でも3日……。ああ、いっそどこか知らないまちへ行ってしまいたい」
「メール」
 男に声をかけられ、そのひとはそちらへ向き直る。
「ああ、ウェントゥス。ご苦労様。ベルさんも」
 ベルさんと呼ばれた狼人の腕には、アニキが気絶したまま抱えられている。彼は無言でうなずくと、くるりとこちらに背を向け、歩き出す。
 その先に視線を向けると、そちらにロープでぐるぐる巻きの赤毛男が失神していた。
 ウェントゥスの手には、剣。
 女性――メールが魔剣と呼んでいた代物だ。今は文字のようなもの――おそらく魔術的な何かだろう――がびっしりと描かれた札で厳重にくるまれていた。
 ちらりとその魔剣を見て、彼女は厭そうに呟いた。
「ほんっと悪趣味な剣よね」
「……メール」
「見入った者の身体の自由が奪われてしまうのは、その刃がバジリスクの目玉に千日照らされたものだからよ。――まあ、そういうわけで、 『睨む者(ゲイザー)』 って名前なんだけどね。 仮に目玉を入れて息を吹き込んだとしたら石化まで行くわね、間違いなく。どっちにしろ悪趣味なものに変わりはないけど」
 そっと静かな声。
 落ち着いた、抑揚のない言葉でウェントゥスが告げるのが耳に入った。
「……説明口調なのは、何故かな?」
 と――
 彼女はぴたりと口を閉じた。
 その表情が、みるみるうちに強張っていくのがわかる。レオンが怪訝に思いながら眺めている間にも、メールは、ふらりとよろけて後ずさりした。眉間に皺を寄せて、頭を振る。そして――
 胸の前で夢見る乙女のように手を組んだ。明後日の方向を見る。
「まあ、なんてきれいなつきよなのかしら」
 ウェントゥスはにこやかに微笑む。顔は確かに笑っている。しかし、その眼は決して笑ってなどいなかった。レオンの気のせいでなければ、彼の額には血管がうっすらと浮かんでいた。
 彼女は顔色を蒼白にしてうめいた。
「この剣……あんたのご推察どおり、あたしが作ったのよ。確かに」
 メールは肩を震わせた。血の気の引いた頬が細かくひきつっているのが見える。
「でもね。作ったって言っても昔の話だし、第一、頼まれたものなんだから、いくら私でもその後の保管場所や今起きたことにまでは責任持てないわよ」
「私はまだ何も言っていないよ? メール」
 でも、一応自覚はあるんだね――と優しく彼は告げた。
 額にだらだらと冷や汗を浮かべ、メールが半眼でうめく。
「あんた、本ッ当にイイ性格してるわよね……」
 ウェントゥスは笑みを深めた。
 その周りの空気が一瞬白く凍り付く。
「それは光栄だね」
 けれども、その微笑みはふっと消える。代わりに残ったのは、ひどく悲しげな声だった。
「私は……もうこの子につらい思いはさせたくないんだよ」


 立ち入り禁止の札をべたべたと跡地のそこら中に貼っていたベルさんが、動きを止める。
「村の人に事情を話してきたわ。一応。……帰りますか」
 瓦礫の向こうから、ふらりとメールが出てきた。病人のように疲れ切った表情であった。
 ふと、視線を感じてそちらを見る。――ベルさんだ。彼は無言のままレオン、伸びたままの二人、それからメールの方へと何度か繰り返して視線を向けた。
「あ、俺、大丈夫です。歩けます」
 レオンが告げると、彼はゆっくりと首を縦に動かした。やはり無言のままで。それからチンピラ二人を軽々と抱え、彼女の方へ向かった。
 レオンも立ち上がる。
 が、ぐらりと目眩を感じ、とっさに手近な柱にしがみつく。
「大丈夫かい?」
 耳に入る涼しげな声。
 息を整えながらうなずく。
「失血のせいだろう。あれだけの傷を負ったわけだし……とはいえ、すまないね。どうも私は治癒魔法は得意でなくてね、塞ぐことしかできない」
 ふと、嫌な感覚が走った。さっと、ウェントゥスの顔を見やると、彼は笑みを漏らした。
「ああ、大丈夫だよ。塞ぐのは得意なんだ」
「…………………」
 レオンが疑わしく顔をしかめる。にっこりと微笑む相手に穏やかならぬ心地を覚えた。
「大聖堂にはきちんと治癒魔法専門の人がいるから。安心して」
 困惑しながら、うめく。
「……ファティマまで、ここからどのくらい歩きますか?」
 彼はあっさりと答える。
「少なくとも三時間」
「さ、三時間!?」
「大丈夫大丈夫。さあ、頑張ろう。といっても、頑張るのは君じゃなくて――どちらかというと、精神力かな」
 レオンは内心うなずきながらも、とりあえず聞こえてきた恐ろしい言葉は無視することにした。
 瓦礫の向こう――おそらく聖都への街道と思しき方角――を肩越しにちらりと見やってから、レオンは改めてウェントゥスの姿へと視線を戻した。彼は変わらず、月明かりに照らされたまま、こちらを見つめている。
 こめかみを押さえ、長い息を吐く。そこで思う。

 サティに紹介された時、確かにウェントゥスは真っ黒な鳥だった。
 だが、目の前に立っている彼はどう見ても人間だ。

「あの……」
「何かな」
「ええと……」
 レオンは言葉を探しあぐねて口ごもった。何も上手い言葉が出てこない。――それを聞くのは、何故かひどくためらわれたから。
 こちらの視線で言いたいことを感じ取ったのか、
「ああ、今夜は下弦の月だからね」
 微笑む。
 レオンも空を仰ぐ。
 半分欠けた月が、ものさびしげに地上を見下ろしていた。
 視線を戻すと、ウェントゥスがそっとしゃがみ込んだ。白髪混じりの亜麻色の髪の毛が、ふわりと揺れる。
 静かに横たわるサティをそっと抱え上げ、こちらに声を掛けてくる。
「さて、行こうか」
 月明かりに彼女の蒼白い顔が照らし出された。
 思わずレオンは息を呑む。
 表情は不思議なほど穏やかなのに、泣きそうに歪んでいた。
 亜麻色の長い髪が、ウェントゥスが歩を進めるのに合わせて揺れていた。

 街道の手前、交易所跡地の入り口でベルさん、コソ泥の二人――伸びたまま、ベルさんに抱えられている――が待っていた。
 彼の視線の先で、メールが杖で大きく何かの図形を描いていた。
 レオンは怪訝に思ってのぞき込む。
「……?」
 同心円のようだ。何か細かい紋様が円の中や周りに描かれている。一定の法則があるようだが、それが何なのかレオンにはわからない。
「何やってるんですか?」
「魔法陣だよ」
 答えたのは隣にいたウェントゥスだった。
「ああ、ここを封鎖するのか」
「まさか」
 半ば納得しかけた声に、ウェントゥスはにっこりと口元を緩めた。
「転移の魔法陣だよ」
「て、転移!?」
「ある場所から他の場所へ移ること。つまり、移動することだけど」
「……あー、そうじゃなくて……ここからファティマに移動!?」
 できるんですか、と急き込んで問う。
 と。
 パン、と何かが弾けたような振動が空気を伝った。
「準備できたわよー。全員お入りなさい」
 くるりと優雅に杖を回して、メールがこちらへと声を掛けた。
 眠る娘を抱え、ウェントゥスが歩き始める。
「まあ、体験すればわかるよ」
 抑揚の穏やかな声。
 レオンは、何となく背中に冷たいものが走るのを感じながらも指示に従うことにした。

 メールを中心にサティを抱えたウェントゥス、レオン、二人組を担いだベルさんが囲む。
 メールが杖を優雅に回した。白いヴェールが少し浮いて、なびく。
「風(はし)るところに扉あり」
 よく通り、美しく響くその声。
 始まった詠唱に応えるかのように魔法陣が光った。
「その扉開けし鍵、我が元にあり」
 ヴェールから零れた銀色の髪が、少しずつ明るさを帯びる。
 詠唱が進むにつれ、レオンは身体に強い圧力を感じる。
「来たれ、自由なる風の乙女。つなぎとめる手を緩めよ大地。我が呼び声に応えよ扉」
 ――そうか。風か。
 理解すると、少しだけ楽になった。
「彼の扉を開く鍵、扉を今こそ開き、真なる導きのもと、目当てへ飛ばせ」
 空気が波を打つかのように大きく振動し、何かが弾ける音が響いた。

 身体に感じた圧力が、ふっと消える。
 と、逆方角にひっぱられるような違和感。レオンはたまらずよろめく。
 ――この嫌な感じは知っている。そう。嫌というほど……
 思わず口元を押さえる。忘れていた平衡感覚が戻ったのだ。
「…………う」
「……大丈夫かい?……精神力よりも三半規管の頑張りが足りなかったかな」
 暗い部屋の中、ウェントゥスが穏やかに声をかけてくる。
 レオンは冷たい汗をかきながらうなずき、まだほのかに光る魔法陣の中でへたり込んだ。
「あらら、酔っちゃったのねー」
 杖で空中に何かを描きながら、メールも声をあげた。
 ウェントゥスはサティを抱えたまま、ベルさんは大の男二人を担いだまま、それぞれ慣れた様子で魔法陣から外へ出る。そのまま二人は扉に向かう。
 足元の魔法陣は光の粒子へと変わり、やがて消えていく。
 扉の軋む音。
 暗い部屋の中に光が溢れる。
 きらめく紫色の瞳。メールがふわりと微笑んだ。
「ようこそ、セレスト大聖堂へ」